なぜ人間は今罰せられているのか。
周囲を見渡してみると、とても奇妙なことが起こっている。まず、最悪なことに、我々は日々、我々の起源と目標(行き先)を忘れつつある。
我々は、現在だけを知りたいと考えているが、現在を知るためには起源と目標はとても重要である。
現在は、川や海の波のようなもので、どの波が現在であるかを言うことはできない。と言うのも、波に触った瞬間に、波は消え去り、これが現在の波であると言うことができないからである。つまり、現在は瞬間である。しかし、我々はこのことについてもっと考えたいとは思っていない。
起源と目標の二語は、我々の現在の生活にとって妨げとなっている。必ずしも万人のものではない、この世の欲望のためだけに、我々は何と大きな過ちを犯しているのか。人間は、いずれにせよやがてこの世から去るということを知っているが、この世に耳を傾けようとはしない。これは、我々人間が自らを欺いているということを意味する。
過去と比べてみると、現在の世界はすべてが開放的であり、仕事を「Sea」「Sun」「Air」に分類してみても、我々はそれぞれの違いを分かっている。
我々はちょうど次のような状況にいる。友人が列車に乗って訪ねて来ることになった。出迎えに行きたいと考え、駅に着いてから友人がどこにいるかを探す。友人は列車の窓から
ハンカチを振っている。これは、友人がハンカチの美しさや色をひけらかそうとしているのではなく、自分の居場所を知らせようとしているのである。
この世でも同じことである。創造主である神は、太陽、月、地球、空気などの形で目印を我々に指し示している。と言うのは、神は愛しているからこそ人間を創造したのである。
数百万年も太陽、月、地球、空気が役割を誠実に果たしているのを我々が目にしているように、すべての目印は神の愛の証である。しかし、人間が自らのことを考えてみると、われわれの行い、感情、創造主とともにある生活は様々であり、我々は誠実ではない。
創造主の作ったものの一例である太陽について考えてみると、太陽は創造の時から正確に忠実に東から昇り続けている。見て分かるように、人間は太陽から多くの恵みを受けており、
太陽の光がなければ、生きていけないことを我々は知っている。太陽は、創造主が停止させるまで、我々が存在しなくても、役割を果たし続けることができる。従って、これは人間に対する創造主の愛を示す単純な目印である。
この世では人を愛し過ぎると、愛する人が質問をしたり、要求について尋ねたり、自分以外の他人に話したりするのを望まなくなる。これが、愛する人への愛の証である。愛する人が別の人に走ると、愛が愛人に軽い罰を与えることがある。その結果、愛人は、自分を愛する人を別の誰かが愛しており、自分は自分を愛する人の元へ戻らなければならない、と理解することができる。これも同じことである。創造主は、火災、地震などの形を借りて人間に軽い罰を与えているのである。しかし、それでも人間は創造主の愛の価値を理解せず、あるいは理解しようとしない。今日、人間は、自分で問題を解決する、と言っている。世界を見渡してみると、ほとんどの場合、人間は互いだけを助けようとしており、創造主の助けを必要としていない。人間はなんと子供じみているのか。
人間はこのことをぜひ考え、
創造主の重い罰から我々を救い出してくれる創造主の真実の愛を見つけようではないか。
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